さくら
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しろ
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くろ
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さくら
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今日は「まあまあという美意識」というお話です。

 

先日、実家で父とご飯屋さんの話をしてた時のことです。

私が帰省した時に立ち寄るお店があって、「なくなってほしくないから通うことにしてる」と言うと、父も、友達に連れてってもらって良かったお店をいくつか教えてくれたんですね。

その時の父の表現が気になったことが、今回のお話のきっかけになっています。

父は、わざわざ私に紹介するほど気に入ったであろうお店のことを「まあまあ食わす店だよ」と言ったのです。

その瞬間、はっとしたのです。この「まあまあ」という表現、実は日本文化の奥深さを象徴しているのではないか、と。

よく考えてみると、日本人は何かを素直に褒めることが苦手です。特に年配の方々にその傾向が強いように感じます。実際、今回の話題提供者である父も77歳。

昔から日本人は「つまらないものですが」とお土産を渡したり、自分の作品や成果を「たいしたことないです」と控えめに表現したりする文化ぎあります。

これらの表現、実は「まあまあ食わすよ」と同じ文脈で使われているのではないでしょうか。直接的に良いと言わず、控えめに表現することで、相手への配慮や謙虚さを示す。これが日本的な美意識なのかもしれません。

しかし、この「まあまあ」文化には別の側面もあると、私は思うのです。

謙遜の裏に自信のなさとか、余計なプライドとかが隠れているんじゃないかな、って。

父の例で言うと、自分はすごく美味しいと思うんだけど、他人には美味しいかどうかわからないから、もし「不味い」という評価がなされた時に傷つかずに済むように、過小評価を伝えておく、みたいな。

このように、自分の価値を低く見積もり、他人の評価を過度に気にするという特徴が、私たち日本人にはDNAレベルで組み込まれているような気がするんですよ。

そして、これは時として、私たちの成長や自己実現の妨げになることもあります。

じゃあ、この「まあまあ」という表現、外国人の目にはどう映っているのでしょうか?多くの外国人にとって、この表現は理解しづらいものだそうです。

例えば、アメリカからの帰国子女である友人は「なぜ良いものを良いと素直に言わないの?」と不思議がっていました。多感な時期に海外で過ごした彼女は、自信を持って自分の意見を述べることが評価される文化が当たり前になっていたようです。

とはいえ、主婦である私たちにとっては、外国人とのコミュニケーションもそうそう頻繁にあるわけではないですから、あまり気にする必要もないですけどね。

ただ、私は、素直に良いものは良いと認めることはとても大切だと考えています。これも、私の12運が赤ちゃんだからなのか、バカ正直な生き方が心地よい証拠なのでしょうね。

同時に、日本文化の良さである謙虚さや配慮の心も忘れないように心がけています。

押し付けは相手を不快にさせますからね。

とにかく、状況に応じて、直接的な表現と控えめな表現をうまく使い分けることが、大切ですね。

自分の心地よい場を作ることが、パワースポット作りには欠かせないスキルです。

良いものはいい!と声を大にして言いたいですね。